気合でなんとか

@Ningensei848が頑張った記録

自炊しろITF.生

この記事はCoins Advent Calendar 10日目の記事です。

adventar.org

以下はmetalnさんによる9日目の記事『夢屋レッスン初級編(1.0単位)』です。

metaln1750.hatenablog.jp

 夢や、一度だけ先輩に連れて行ってもらってすごくおいしかった記憶があるんすけど、なにぶん多いのと揚げ物メインで注文したのでぼくにはかなり強敵だった……。腹いっぱいに食べたい!揚げ物でも何でも来い!!というかたはぜひ行ってみるといいと思います。

(実際に自炊するようになると、揚げ物という選択肢はなかなか取りづらいので……)

 と、いうわけで、この記事では「自炊しろITF.生」というテーマで書いていきたいと思います。(情報学群仲良くしようよと書こうとしたんですがよく考えたら私同学類でさえかなりの人にブロックされてるししてるし戦争しか起きねぇわってなったので割愛)

自己紹介

 遅ればせながら、klis16から賑やかしのために記事を書かせてもらっているです。基本的に第三エリアには総合でしか授業受けたりで行ったことないのですが、時折産学間連携推進室の猛者たちのもとへ赴きアドバイスをもらったりしています。だいてつくんともねさんにはいつもおせわになっております……。

※今回は自炊したことない人向けに、まず自炊をどうやって始めるか、ということを念頭に置いて記事を書きました。ちょこちょこ自炊もしてるけどどうすればもっと継続できるだろうか……(´・ω・`)という人は最後の方のまとめを読んでください。

目次

  1. 導入
  2. 自炊とは
  3. 自炊のための前準備
  4. 調理開始
  5. 完成 - ITADAKIMASU -
  6. 自炊を続けていくうえでのTips
  7. まとめ
  8. 参考文献

導入

限界ITF.生たち松屋いきがち!!!!

あとオタクたちラーメン喰いすぎ!!!

 20そこらの学生たちがこんな食生活してたら死ぬだろ……少なくともすぐに体臭に現れるので今すぐ食生活を改めろ。お前らがクサくてキモいのはまず食習慣から変えなくてはならない。外面は内面の一番外側。そしてそれは意外にすぐ変えられる。なのでまずは自分を形作る栄養源から変えていこうな……

先行事例

先行研究がありました。

【えぇ…】自炊したら食費が増えたという大学生の1ヶ月の食費がこちらwwwww | 2ちゃんねるスレッドまとめブログ - アルファルファモザイク

大学生だけど自炊しても食費を全然抑えられねーじゃねーか

一か月の食費

米3000円
肉&魚 25000円
野菜10000円
果物15000円
調味料 3000円
調理油5000円
ミネラルウォータ3000円
外食一日1回×30=30000円

合計94000円

外食一日3回した場合の食費とほとんど変わらないのかよ・・・

 

 

 

 

 

 

 

アホか!!!!!!!!!!!!!!!!

 

 上記の例は東京とか都市部のものだと思うんですが、いちいち高すぎる…

つくば市周辺だと、この三分の一にまで抑えることができます。(なお、上には上がいて、一ヶ月一万円生活を地でいく人も過去にはいました)

 各御家庭の事情もあるかと思いますので、この記事では一食300円換算×一日三食×30日(一ヶ月)=約30000円を目安に書いていきます。

この記事の対象者

自炊できない~~とのたまう若者たちにはいくつかレベルわけができるらしい。

  • できるけどやらないレベル(時間がない、買うところがない/遠い、など)
  • 片付けができない/面倒でやらないレベル(食器洗いが障壁になっている)

 このあたりならまだわかるというか、結局時間を金で買っているような裕福な連中なイメージがあります。やらなくとも困らないしむしろ自炊する方が損する、みたいな。

困るのはこういう人たち

  • レシピがないと何もできない
  • そもそも何を買えばいいのかわからない
  • 最低限の調理用具/食器類さえない

 端的に言って、家庭教育の敗北です。よっぽど親に甘やかされてしまったか、その逆かしかわたしには考えられません…と、かくいうわたしも自炊活動をするようになったのは大学生になってからです。このあたりで大切なのは、本人の自炊経験うんぬんよりも、親御さんとの共同生活の中で日常的にお買い物に繰り出していたか否かだと思うんすけど…この記事を見ている非自炊学生各位のご家庭環境はどうだったでしょうか。

この記事では、そんな方々にとっての一筋の光になれたら、と思います。

自炊とは

例えば、以下のようなイメージがあるかもしれません。

ウマそう!!!!!!!!!!!!!

 

 そりゃあうまそうに見えますよ、mastの学生がいいカメラで写真写りまで気にしてきっちり盛り付けて、専用の垢のしかもタグまでつけて記録してるんだから…

 まず、自炊を始めようという人たちが勘違いしてはいけないのが、「食事はあくまで自分が食べるもの」であり「食事を作った自分をほめてほしい」とか「誰かに食べさせる」とかそういうものではないことです。(少なくとも最初の段階からそれを目指すと挫折します)まず我々が目指すべきは、

  1. (自分が)食べられるもの
  2. 少なくとも一品
  3. 多少焦げても大丈夫

の三つの目標を満たすことです。

自炊のための前準備

 自炊するにしてもまず必要なのが調理道具に加えて自炊環境。この辺はプログラミングやるにしてもお勉強やるにしても、何につけても避けては通れません。(一応Coinsむけなのでこういうことを言うなど)

自炊に必要な道具

  • 炊飯器(米を食え日本人)
  • シンクガスコンロ・冷蔵庫・レンジ・オーブンの順で必要
  • 包丁まな板布巾・ピーラー(皮むき器)の順で必要
  • フライパンとじふた・手持ち鍋の順で必要
  • 木べら・おたま・フライ返しの順で必要
  • 大きめのどんぶり・御飯茶碗・お椀・取り皿(大小浅深揃える良)の順で必要
  • ・スプーン・フォーク・ナイフ の順で必要

※最低限、下線を引いたものがあれば自炊をはじめることができるぞぅ!

※これらをそろえるためには最寄りのショッピングセンターか大きめのスーパーに行こう。トライアルでもカスミでもイーアスでもイオンでも可。

買い物に行こう!

 主婦曰く、買い物は常に戦場。とはいうものの自炊初心者の我々がそんな所に行って何ができるのか…。そんな杞憂することはない。タームセール等、ギリギリの瀬戸際で購買活動をやろうとするから争いになるのであり、学生のうちからそんなに躍起になることはない。まずはあなたの最寄りのスーパーに行こう。

持ち物
  • 買い物予算(余裕をもって10000円あると気が楽)とそれを入れる財布
  • 十分な大きさの手提げ袋(エコバッグ)
  • (可能であれば)空にしたリュック

 一度でもサザエさん体験をすると、買い物に対して非常にトラウマが残ります。こんなことにならないように皆さんは気を付けてください……。

何をどう買うか

 自炊初心者あるあるなのが、「なにを買ったらいいのかわからない」です。慣れてくると1週間の献立まで見据えた買い方が出来るようになるのですが、初めての買い物でそれをやれというのは酷であります。

 前提知識として、スーパーの陳列はきちんと考えられているということを知っておくと良いです。基本的に、スーパーに入ってからレジに至るまでは反時計回りにぐるっと構成されていて、その流れに沿って通路の両サイドにある品をみて手に取るだけで必要なものは十分にそろいます。入り口付近には野菜と果物、ちょっと入ると魚や肉、お惣菜など、最後付近にはパンや弁当、一品おかずなどの出来合いのもの、といった具合です。一方でその流れから切り離されたところには、基本的に保存が利くもの、長く使うものが置かれています(カップ麺や冷凍食品、調味料など)。

 今回は、自炊erがまず目指すべき「肉野菜炒め」のために必要な食材をピックアップしようと思います(なぜこのメニューなのかは後述)入口入ってすぐ、この寒い時期にはクッソ高い果物類を完全無視して、もやしや玉ねぎを購入しましょう。もやしにはシーズンがないため一年中手に入り、かつもっとも安価です。玉ねぎも保存がきくため、基本的にはオールシーズン扱ってくれます。それに初心者が調理するにはもってこいだと思います(わたしはこれで包丁の扱いとか学んだ記憶)値段としては、もやしが一袋30円とか、高くても70円くらいです(トライアルだと19円のやつがある)玉ねぎは、一玉70円くらいが相場のはず…お徳用を買うと、加工の手間はあれど、安価にたくさん手に入るので自炊になれたころに手を出すとよいですね。このほかの野菜はオプションです。シーズンによって異なりますが、「大特価!」って書かれてるものはまわりのベテランの動きを見つつ買ってみると美味しく頂けるお得なことが多いです。

 次に、肉を買います。初心自炊erアリがちなのが、肉の価格帯がまったくわからないということです。稼ぎの少ない学生風情が100g300円もする牛肉買っていくと周囲からの目線が意外にきついです。かなりやべぇやつと思われること請け合いです。実際、そんなに出さなくとも十分においしく調理できるはずなので、ここは100g99円ぐらいの肉を選びましょう。食べる量にもよりますが、だいたい200円台のパックを選べば1食分満足に食べられます。作り置きして2食分作りたい場合は、それに合わせて大きなパックを選ぶといいでしょう。夜にいっぺんに焼いておいて、朝は加熱だけして食べるとかすると非常に“自炊している感”があり自己肯定感につながるのと、単に時間短縮になって効率も良いです。

 そしたら、肉と野菜を美味しく調理するための調味料を揃えましょう。完全に好みの問題なので省略しますが、ひとまずは「調理油」「塩コショウ」「焼き肉のたれ」をそろえるといいでしょう。油はオリーブにすると風味良く、ごま油にするとまた違った食欲をそそる香りがします。いろいろ試していく自炊におけるお楽しみな部分というかんじですね。味付けも、きちんとした味が付けられるように塩コショウを買うべきです。タレに関しては完全にオプションです。素材のままを楽しむ派のひとも、がっつりかけてタレをおかずに白飯を喰らうかのような人もいます。

調理開始

 初心者自炊erやりがちあるある「常識的に考えてくれ」「切り方がわからない」「焼きすぎィ!/焼かなすぎィ!」を乗り越えれば、あなたも立派な自炊erです。それでは個別に見ていきましょう。

「常識的に考えてくれ」

  • まず切るという概念がない
    …ゲームの知識なのかなんなのか、とりあえずフライパンに放り込めば出来るっしょ!!ぐらいの考え方の人もいるらしいです。私は若者が怖いので一応注記しておきます。
  • 衛生的に考えて洗わないわけがないでしょ
    …うーん、洗って!w(すべてがすべてとは言わないが基本的には水に通して泥土やホコリを落とす程度のことはしてほしい)
  • 皮をむくことを知らない
    …あなたの料理がまずいって言われるのは皮をむいてないからかもしれませんよ……ニンジン、ジャガイモの皮はきちんと剥いてください。まさか玉ねぎの皮まで残してませんよね?
  • 実験科学ではなく調理である
    …レシピ通りに、これの分量が○○だから…( ー`дー´)キリッ みたいなアホな言動はやめてください。確かにお菓子作りは最先端科学といって差し支えないですが、自炊を始めようって段階では全く関係ありません。

「切り方がわからない」

 どんな切り方でも味はいっしょ。あなたが食べやすいと思う大きさに切りましょう。自炊を重ねるうちに、だんだんとこのくらいできると美味しい、火が通りやすいなどぐあいがわかってきます。最初はあなたにとっての一口大の大きさのその半分くらいを目指してみましょう。

「焼きすぎィ! / 焼かなすぎィ!」

 ガスコンロで火を付けたらそのままの火力で焼き始めてしまう、というのも初心者陥りがちなあるあるだと思います。火を付けたらとりあえず中火に調整。つまり、最大火力の炎の大きさと比べて半分くらいの出力になるように手元で調整してください。焼かなすぎィ!というのも、未だきちんと火が通っていないのにもかかわらず火を止めてしまうミスがあるからです。肉なら身の赤い部分(生の状態)が残っていないか、野菜なら、硬さを確かめたり、見た目から水が抜けていないかなどで判断します(野菜は加熱することで内部の水が蒸発し体積が小さくなる)

 それでは、買ってきた肉と野菜を調理していきましょう。ここでは前述した自炊環境が最低限整っているものとします。

 まずは、野菜を洗いましょう。もやしなど、一部加工され、洗浄およびパック詰めされたものは洗わなくてもいい場合がありますが、それでも洗っておくに越したことはありません。玉ねぎは外側に土がついていることが多いです。が、どうせ皮を剥いてしまうので泥を落とす程度で。

 次に、玉ねぎを一口大にカットしていきます。そのためにまずは外側の茶色の皮を剥きましょう。剥き方として、まず包丁を使って玉ねぎの頭頂部付近をカットします。縦に真っ二つではなく、横向きに頂点部分だけ切り取るイメージです。切り口だけ玉ねぎの白い部分が見えて、あとは茶色い皮に覆われているのがわかると思います。そしたら、その皮を根の部分に向かって手で剥いていきます。根というのは、白いにょろにょろが出ている部分です。一周剥き終わると根の付近に皮が集められると思います。それをそのまま引きちぎってもいいのですが、ここは包丁を使って根の固い部分と一緒にくりぬいてしまいましょう。根の周囲に角錐を形作るイメージで切れ込みを入れていき、それが一周するとあら不思議、根と一緒に皮が集まっているのを引っ張ると、これで玉ねぎの皮むきは終了です。そしたら、半分に切ったものを半分に切って、そのまた半分に…ということを繰り返していけば、やがて一口大くらいの大きさになります。

(※このページに詳しい解説が載っていますが、玉ねぎの形によってしりの部分の切り取らねばならない大きさが変わってくるので、好き好きですね…)

あとは焼くだけです!

 まず、コンロを点火し、中火にします。そこへきちんと洗ったフライパンを置き、その中空に手をかざして熱が伝わるかどうか確かめます(この時、水気が多いと突沸で水がはねて危ないのできちんと布巾で拭くこと)フライパンが暖まってきた段階で、今度は調理油をフライパンに広げます。油を少し注いで、フライパンを傾けたりして全面が油でコーティングされたかどうか目視で確認します。フライパン全体に油がいきわたったら、食材を投入していきます。ここで野菜と肉、どちらを先に入れるかという議論があります。結論から言うと、野菜を先に入れた方が失敗がありません。どうしても、火加減がわからない中で肉を先に入れてしまうと、焼きすぎて焦げてしまい、次回の自炊活動への意欲が大幅に減退するというリスクがあります。そうなるくらいなら野菜を先に入れてその上に肉を載せることで焦げるリスクを避けた方が賢明です。そうしてすべての食材を投入したら、全体に塩コショウを振りかけます。適宜好みによっては、この段階で焼き肉のたれを投入する人もいます。これであとは、ふたを閉じて焼きあがるのを待つばかりです。

完成 - ITADAKIMASU -

 肉が焼けたか否かのタイミングは、その肉の赤っぽさが消えたところです。そのころには、肉の下敷きにした野菜にもきちんと火が通っているものと判断していいでしょう。盛り付けは、大きなどんぶりにご飯をよそってその上にのせるもよし、履修要覧かシラバスかなにか厚い本を下敷き代わりに使ってそのままフライパンを盛り皿として使うもよし、です。

 

 

 

あ、 ご飯 炊き忘れた・・・・・・。

 

 

 

 

 自炊を続けていくうえでのTips

 継続的に自炊が出来るようになるためには、継続的に買い物に行って献立計画を立てることに尽きます……。選択肢がないから結局外食するほかない、ということになっている人は多いだろうし、買い物はより多く買い物することでしか経験にならないというか、“上手に”買うことができるようにならない、というのが経験上の感想です。また、適度に手を抜くことも大切です。1日一回調理すればあとは加熱のやり直しであったり、もしくはカップ麺や出来合いのもののちょっとしたおかず程度に考えればいいし……とにかく、継続して自炊調理を続ける、というのは一つポイントであると思います。

まとめ

 今回はそもそも自炊をしたことがない人向けに書いてみました。とりあえず肉野菜炒めが作れるようになれば後はどうにでもなる。大切なのは火が通っているか否かを見極められるようになることだとおもいます…。

 ある程度なれてくると今度はいかに作り置きして自炊をサボるか、ということを考えられるようになります。手を抜きながら、しかし一方できちんと継続して料理を作る。そこまで行きつくと、毎日が楽しいしちょうど寒い季節なんかだと鍋なりシチューなり作れるし最高だと思います。是非ともITF.生諸君には、健康的な自炊生活をしてもらいたいです。

 

 

P.S. 秋学期始まってからほとんどを自炊に切り替え外食に行かなくなった結果、私の体重は10㎏近く増えました(マジ)

自炊する人しない人、食べ過ぎにはまーじで気を付けましょう……。

2017/12/12 追記:

 あるある~~~~~~~食べ過ぎには気を付けよう~~~~~~~!(ゆうさく)

 

参考文献

  1. 買いたい気持ちにさせる売り場の棚割り基本法則で売上げ向上 | 店長の仕事
  2. 男子厨房に入るべし。まずは「快感」玉ねぎの皮の剥き方を板前に聞く - まぐまぐニュース!
  3. “順番”がポイント! 炒めものを上手に仕上げるコツ | ゼクシィキッチン

宝泉寺禅センターで修行してきた報告 - Klis Advent Calendar 2017

※この記事はKlis Advent Calendar 2017 - 4日目の記事です。Klis Advent Calendar 2017の記事一覧は以下からどうぞ。 adventar.org

 この記事の前日(3日目)の記事は、まきいし(@nowork_noota) さんの「趣味かオタクか何かしらのはなしをします→労働の話になりました」でした。以下からどうぞ~。(ほんとバイトして金を稼ぐってのは難しいよね…よくぞ頑張った、お疲れ様)

nowork-noota.hatenablog.com

 

というわけで本日は不肖わたしの順番です……めっちゃ気合い入れてかいたろ!とかおもってたら一日潰れていました(白目)

※すべての記事合わせたらおそらく1万字近く書いてる…なんでテスト期間も近い時期にこんなことを……

この記事の次の日(5日目)の記事は、chr(@lmn8cs) さんの「梶井基次郎を推す記事」らしいです。以下からどうぞ~。

lmn8cs.hatenablog.com

それでは悩める大学生/大学院生各位よろしくお願いいたします……。

目次

  1. 導入/経緯
  2. 概要
  3. 修行内容の詳細
  4. 各日の日記
  5. 諸注意:修行へ行く前に
  6. まとめ+修行したいと思ったひとへのメッセージ
  7. 参考文献

導入/経緯

 さて、世間ではインターネットの普及とともにSNSが大流行して久しいですね。 そんな現代社会において、何一つとしてSNSのアカウントを持っていないとか、自ら何の発信もしないという人はおそらくごく稀なマイノリティだと思われます。 例えばTwitterFacebook, LINE, instagram, slack, 懐かしいところではmixiや最新のものだとsarahahとか……。 利用目的は人それぞれ千差万別ありますが、“人との交流を求める”という点ではすべてのSNSツールに共通しています。 そりゃあまぁSocialにNetworkするためのServiceなのだから当然ですね。

 しかし、翻ってご自分の現在の利用状況を振り返ってみてください……。 そこにきちんと自分の目標設定、ないしSNSを利用する意義が明文化されていたでしょうか。 言い換えれば、「SNSを使う」のではなくて「SNSに仕える」ような事態になっていないだろうか、ということです。 人と話すのは楽しいです。人が楽しんでいる/哀しんでいる/憤っている/喜んでいる様子を見るのはある種の快楽です。 それらがとめどなくあふれて流れてくるSNSという情報の源泉は、ともすれば麻薬のような効果があるといえるでしょう。 使えば使うほどもっと使いたくなる…それを使うことでなんらかの不利益が自分の身に生じたとしても、 きっとそれ以上のリターンがあるはずだから、と思い込みさらにのめり込み、さらなる不利益が生じる……。 程度の差はあれど、上記の事柄に関しては誰しもが経験しうるSNSの落とし穴といえるでしょう。

 私はその罠に嵌りました。複数のSNSを活用し、自分の興味を広げ探索しているつもりになっていたのが、 実はただ時間だけを消費し結果として何も得られない虚無に陥っていたのです。 こうなると自分ではどうしようもない状態だと、当時の私は思いました。 どうにかして外部から何らかの圧力をかけて矯正しないといけない、と……。

 その外部圧力として私が選んだのが「寺に籠って禅道修行する」ということでした。
すべての電子機器その他インターネット上での自分という存在を縛りうるものをすべて捨て去って山に籠るのです。 現世での自分は既に死んだものと思って、京都府亀岡市にある宝泉寺禅センターの門を私は叩きました。

 次章からは、まず三泊四日で行われた修行全体の概要を述べ、そこから一日ごとの振り返りを述べていきます。 最後にまとめとして、この記事を読んだ方々へのメッセージと参考資料を載せてあります。

※あとから振り返ることができるようにしよう思い、修行中は毎日筆を執り自らの想いをつづっていました。 あまりにも長いので別の記事に書き、各章からリンクされるようにしてあります。 お時間に余裕のある方は読んでみてもいいかもしれません。

概要:禅道修行とは何をするのか

宝泉寺禅センターでは、主に以下のような修行を行いました。

  • 修行者たちを禅堂に集めて坐禅
  • 敷地内の掃除や作務(さむ)といった「動く禅」
  • 修行者たちが食堂に集まって懐石(薬石)をいただく
  • 御本尊のある本堂にて読経(朝のお勤め)
  • 和尚の法話をきく
  • 仏教聖典を修行者全員で順番に拝読する…… など

一日の時系列

05:20 起床。15分でトイレや身支度を済ませる。
05:35 朝の「歩く禅」即ち境内をぐるぐると回ったのち、そのまま境内で体操。
十分に体が温まったら禅堂で小坐禅
本堂に移動し、朝のお勤めとして読経。
終わり次第その場で担当場所が伝えられ、敷地内の掃除を行う。
15分ほど経って掃除を終えたら次は懐石。
30分ほどの休憩をはさんですぐ「動く禅」である作務(さむ)を行う。
(昼食までの3時間半は寺の敷地の内外のあらゆる雑事を作務として行うことになる)
12:00~ 昼食。後述するが、この時間が唯一至福の時とも言える。
修行者全員で食卓まわりを片づけ終えると、だいたい12:45くらいになっている。
(4hほど自由時間)
16:45~ 夕方の小坐禅を行なったあと、食堂に集まって薬石。
(小休止)
18:45~ 禅堂にて仏教聖典の拝読。
19:15~ 25分×3本(インターバル5分)で坐禅
22:00 完全消灯。

修行内容の詳細

 一言に修行といっても、イメージが湧かないと思いますが、禅の基本思想は「無」であること。 そしてそのために必要なのは「姿勢」と「呼吸」です。

坐禅の作法:姿勢

 坐禅、とは即ち「坐して立つ」ことにほかなりません。ただ足を組んで座るのとはわけが違います。 曹洞宗のこのページが参考になると思います。(以下、そこからの引用です)

まず、坐蒲(ざふ)がおしりの中心に位置するようにして、深すぎず浅すぎず坐り、足を組みます。結跏趺坐(けっかふざ)でも半跏趺坐(はんかふざ)でも、大切なことは、両膝とおしりの三点で上体を支えるということです。ただし、体調・体質には個人差がありますから、無理をせず坐り方を工夫すると良いでしょう。
背筋をまっすぐにのばし、頭のてっぺんで天井を突き上げるようにしてあごをひき、両肩の力をぬいて、腰にきまりをつけます。この時、耳と肩、鼻とおへそとが垂直になるようにして、前後左右に傾かないようにします。

と、ある通り、足を組んでその結果両膝と臀部の3点でtriangleが作られ、その重心に上体の重心を重ねられるように坐ればいいわけです。 さらに上体姿勢を整えるとなぜか不思議と身が引き締まる思いがします。 宝泉寺の和尚曰はく、坐禅におけるこの姿勢こそが「坐して立つ」であるといいます。 ※とはいうものの、膝が悪かったり骨格の関係でうまく足が組めない・正座するのが苦痛すぎて厳しいという人のためのサポートも充実しています。ご自分で調べてみてください。

坐禅の作法:呼吸

 禅の基本思想である「無」へと到達するためには、「呼吸を消すこと」が必要とされます。 息を止める、ということではなく、呼吸の際に漏れる摩擦音でさえも出さないように深くゆっくりと力強く呼吸せよ、ということです。 基本的には鼻からの呼吸が推奨されますが、それだけだとどうしても摩擦音が消せない場合に口呼吸と併用することも勧められています。 坐禅を行い深く瞑想し「無」になるためには雑音が非常に邪魔となる、というのは想像に難くないでしょう。 Adenoids気味な人にはつらい環境かもしれません。

朝のお勤め:経文読経

 本堂に集まり、正座の状態で約16頁に渡る経文を木魚や鐘の音に合わせて唱謡します。 肚から声を出す、という表現がありますが、熟練修行者たちの声量は全くどこから出しているのかと思うほどに大きく響く声であり、それに負けじと大きな声で音読することになります。 注意しなければならないのは、25分近い時間それを続けるということと、その間ずっと正座していなければならないということです。 私が初めて挑んだ時、読経が終わった後には足の血流が滞り、動かすことも立ち上がることもままならない状態になりました…。 幸いなことに、痛みや痺れ以外の部分、つまり読経そのものに集中できる(辛いという感情から目を逸らせる)ので、そういう点では すべての修行のうちで二番目に苦しい時間だったといえなくもないです。

動く禅 其の一:施設の環境美化

 なんとこの宝泉寺禅センターでは、シャワールームが4つ、男女兼用トイレが6つあり、それらを毎朝ピカピカに掃除する必要があります。 他にも、各部屋の掃除、外階段の掃除、シンク周りの掃除などきれいにすべき場所は種々様々であります。 これらを修行者全員が各場所に割り振られ、15分程度で掃除をすることになります。 ローテーションなのか固定なのか3泊程度ではわかりませんが、私の場合は、最も面倒といわれるシャワールームを3日連続で担当しました。 何か月かに一度掃除する、というレベルではなく清潔に保たれているため、やるべきことはネットにかかった毛髪やごみを取り除いたり、付近で拭いて水気をきることぐらいでした。

動く禅 其の二:作務

 懐石;朝の食事を終え、小休止を挟んだのち、午前中いっぱいは作務(さむ)と呼ばれる雑用に精を出します。 これもまたちょうど時期が悪く、私の場合は作務の中でも最も重労働な部類にあたる「畑の堆肥移動」をすることになりました。 (もちろんこれは主に年齢の若い男性で行われ、女性やご老体は敷地周りの掃除やゴミ捨て、買い出しなどに割り当てられていました) 私語を慎み、呼吸を整えたうえで、適度に同じ修行者たちとコミュニケーションを取りながら、 バケツリレーで堆肥を運んでいく様子はなかなか簡単そうで、しかし意外に腰に来るものでした(笑) 時間こそ長いものの、作業自体は簡単で集中しやすいものなので、禅の呼吸がうまくハマるとあっという間に時間が過ぎていきます(これはマジ)

動く禅 其の三:日常生活

 何で寺での修行生活(日常生活)が動く禅なの?という話ですが、いくつ理由があります。 まず一つ目に、すべて生活に必要なものは修行者全員の“共用”です。 例えば、休憩時間中にお茶を飲みたいと思ったときに、入れるために必要なコップは、使ったら水洗いして元の場所に戻す必要があります。 洗剤などは使わず、素手で水洗いし、布巾で水気を拭き取るだけです。 万が一、水筒やペットボトル等の持ち込みがあった場合は下山するまで預けなければなりません。 また、食事の際に使う持鉢(箸を含めた食器類)にしても、これまで修行してきた誰かが使ったものを渡されるわけです。 「汚れ」ではなく「穢れ」をどうしても強く意識してしまい、使うのに抵抗があったり苦痛に感じる人もいるかもしれません。

懐石と薬石:食事もまた修行である

 私にとって最も苦痛だったのは、この食事の時間です。 なぜそんなにも辛いのかというと、それは食事が始まってから終わるまでの約30分間ずっと正座を続けなければならないことと、その苦痛を紛らわせるような何かが一切存在しないからです。 目の前の食事はきっとおいしい…しかしそれを味わう以前に全神経が足に持っていかれてしまっているッッ……‼ 三泊四日の修行だと、朝3回・夕3回の計6回はこの苦しみを味わうことになります。

※実際には、正座ができない人は申告すればテーブルとイスで食事がとれます。膝を悪くしてしまったら元も子もありませんので。

 位置につき持鉢を開いて少し経ち、びりびりと足が痺れ始めたと思ったら、食事前の経文読経をせねばならなかったり、食事作法がままならず何度も注意されストレスになったり……。 食事中ももちろん私語は禁止ですし、器から口へ食べ物を運ぶ際も極力音をたてないようにしなければなりません。 食べ終えた後には、これがカルチャーショックにもなりうるのですが、まず一つの器にお湯を注ぎ、 そのヨゴレを、残しておいたたくあんで絡めとってきれいにするという行為があります。 そして最後にヨゴレが落ちて半ばスープとなった汁を一息に飲み干す……。 こうしてきれいになった器はすべて布巾で水気を拭き取り、乾燥させるでもなくそのまま持鉢を包んでいた布と一緒にくるんでしまいます。 そしてそれをまた次の懐石(薬石)でも同様にして使う……。この持鉢は下山するときに返却するまで一度も洗いません。 衛生面がどうしても気になってしまう方にはかなり厳しい修行となりうるでしょう。

各日の日記

 この章では、私が入山してから下山するまでの休憩時間に書いた日記(memo)をなるべくそのまま書き下したものです。 プレーンテキストそのまま張り付けてしまうとこの記事全体があまりにも長くなりすぎるので、別枠の記事として書きました。 以下のリンクからどうぞ

(※と思ってたけど思いのほか分量があってヤバい…長すぎるものは一部抜粋とか要約とかになってます)

諸注意:修行へ行く前に

しくじり先生じゃあないけれど、いざ修行へ行く前に留意すべきことを列記します。

  • 初めてなら三泊四日で挑もう、それ以下の長さだとあまり意味がないかも
    ※というのも、「まる一日通して修行しました」が一日だけなのか二日あったのかでだいぶ実感が違うと思う。 私の場合、三日目の夜の坐禅でやっと息の消し方に慣れてきて、少しだけ深いところまで瞑想ができた。 きっと二泊三日だけでは、正座が苦痛で苦痛で仕方がないという負の印象だけが残っていただろう。
  • 1人で孤独に修行したいのならここではないところで
    ※和気藹々、とは違うけれど、宝泉寺禅センターでの修行は時間によってメリハリがきちんとあった。 そして、修行者みんなで協調し、交流し坐禅にいそしんでいた。 一人で黙々と厳しくやりたい場合は違う場所を探さないといけないと思う。
  • 化粧はできないし、手先足先の保温もできない
    ※若い女性には厳しいなと思ったのは、化粧が禁止であること。歴史的経緯もあり、どうしても男性主義的な部分があるが、 それは修行だからであり、性別は超克したものだと思ってあきらめるほかない。男性ももちろんワックスなど禁止だしカツラもだめだ。 加えて、敷地内では素足が基本である。ポケットに手を突っ込むのもだめだし、手袋も使用できない。 こういった理由から、(特に若い女性には)寒い季節に修行に行くのはお勧めできない。
  • 耳鼻咽喉系/呼吸器系に不安のある人は再考を
    ※冒頭にも述べた通り、禅は「姿勢」と「呼吸」である。例えば、鼻が詰まりやすいとか鼻水が止まらないかもしれない人が 禅堂でほかの修行者と一緒に坐禅を行うとなると、他の迷惑にもなるかもしれないし、なにより自分自身が瞑想にも入れず苦しむだけである。 腹式呼吸で臍下丹田を鍛えれば大丈夫!ともいわれるが、苦しむために修行しているわけではない。
  • みんな悩んでいる/あなたはあくまでも他人
    ※わざわざ京都のはずれの寺まで来て修行をする覚悟のある人たちなのだから、みな真剣な思いで集まっている。 度合いは人によるが、いずれも悩み苦しんでいるかもしれない。 しかし、互いに理解者になろうとしてはいけない。ここに来たのはあくまで自分自身のため。修行のため。 曝け出すことも大切だが、一方で踏み込まれたくないこともあることに留意したい。

まとめ:自分のこれから&修行してみたいと思った人たちへ

 今回の修行で得たことの一つに「幸せへの階段は常に2ステップ」というものがあります。 すなわち、ワンステップ目に苦/楽があって、その次の段に幸せがある、という考え方です。 言い換えると、「楽しい、だから幸せ」というパターンと「苦しい、だけどそれこそが幸せ」というパターンがあるということです。 前者は皆さんが想像する通りですが、後者はいったいどういうことなのか。 それは、苦しんでいる時こそ何か成そうとしている状態であり、もっと言えばその中にこそ「無」の境地があるということです。 ここでは単純に「不楽=苦」ではないこと、自分が苦しむのと苦しめられてしまうのとは違うということに気を付けねばなりません。 (楽しくないイコール苦しんでいる、と考えるのは早計です)それは、「苦しい」のではなく「楽しくない何かがそこにある」というだけにすぎません。放っておきましょう。 自分で望んだ苦しみの中には、きっと幸せがあることでしょう。 しかし、そこに自分の意思が介在せず、「誰かの手によって苦しめられているだけ」である状態を苦しんでいるとは言いません。単に誰かから痛めつけられてるだけです。 また、「苦しみがいつか楽しさに替わり、やがて幸せが訪れる」とも考えてはいけません。3ステップで幸せが来ることはないのです。 結局その考え方は、苦しんでいる過去の自分に対して対価を求めているに過ぎないと思います。

 最後に、ここまで読んでくれたかどうかは置いておいて、自分も修行してみたいと思った人へ。
あなたは、ポジティブな理由で、禅へのほんの興味から修行してみようと思った人だと思います。勿論、そういう人もいましたが、 集まってくる修行者のほとんどは、ネガティブな理由で、そしてそれなりに覚悟をもってやってきます。 私があなたに対して、ここに来るな!などとは到底言えませんが、真剣に悩むほかの方々の邪魔をしてはなりません。 修行に挑むのであれば、それ相応の“覚悟”が必要だと私は思います。それがあって初めて修行に集中し、坐禅を組み瞑想し、 深いところで自己と向き合うことができるのです。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
 私にとってこの四日間ほどの修行期間は人生の大きなターニングポイントとなりました。 共に修行した皆様、指導してくださった常住の方々、そして克厳和尚さま、本当にありがとうございました。

参考文献

  1. 禅修行の旅|渡辺美沙のゼロからどこまで出来るかな
    ※この記事を書くにあたって再度調べてたら読みやすく詳細な体験記が出て来ました。正座や読経、衛生面にあまり抵抗がない人ならば、こんな感じに満喫できると思います。
  2. 宝泉寺禅センター - 修行体験ができる禅寺 座禅、生活改善、人生相談
    ※公式ホームページ。日程の予約等の確認・申請もここから
  3. ブッダ(手塚治虫の漫画) - wikipedia
    ※寺の敷地内にある本棚に収蔵。漫画なので視覚的にわかりやすい名作
  4. 坐禅の作法 | 曹洞宗 曹洞禅ネット SOTOZEN-NET 公式ページ
    坐禅の作法から足の組み方や姿勢・呼吸など網羅しているページ。イラスト付きでわかりやすい。
  5. ブッダの休日(Kira・pata・shining Mix) by nanasi765 | Free Listening on SoundCloud
    今回の記事を書くにあたっての作業BGMとして流してました。

日記 - 宝泉寺禅センターでの修行 参考資料

※この記事は、2017/11/03-2017/11/06までの修行期間、その間に撮影した写真をまとめて置いておくところです。何となく雰囲気がわかると思います。内装は残念ながらほとんど写真が撮れませんでした(人が多く常にだれかいたため)

修行全体をまとめた記事はこちらです。 

 

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 京都駅から馬掘駅に向かう嵯峨野線

臨済宗宝泉寺 正面入り口

※写真では写っていないが、秋の台風のせいで門が吹き飛んでいた。改修工事中でした。

正面石階段の両側には柿の木があり、枝の先に二つ三つ実が取り残されていた。

このように、実がなる種類の木からその実を二、三粒残して収穫するしきたりを「木名乗り」「木名残り」「木守り」と呼ぶ。(地域差がある)

その意味はぜひ自分で調べてみてほしい。

 

宝泉寺から見た亀岡市馬掘の風景。寺は少し高いところにあるので、こうして一望することができる。

 

 

 洗濯機と乾燥機付き。タオル以外の洗濯物は基本的に洗濯即乾燥機に突っ込む形。一回200円。これを下山時におさめる。

 当然のようにねこが配備されている。 

 

 流石京都といった感じの雰囲気をもつ庭がある。しかしこれも台風で一部崩れてしまったらしい。その上の方にはログハウス(女性用の寝室)がある

 畑

 

上から庭をみた図

寺なので当然檀家の墓もある。ログハウスへは、その墓の隙間を通っていく必要がある。

ラフな格好の住職さんだな~~~と思ってたら一般の修行者でした……(といっても禅修行20年のベテランだけども)

もふろうと思えば意外に簡単にももふれる

奥が食堂と談話室と禅堂があるハナレ、手前が本堂。

 

 

少し離れたところにもいくつかログハウス。ここは常住さんたちの寝室。

 お経の練習をする住職見習いの方(なんと尼さんでした) 

驚くべきことに、図書室まで備えていた。仏教系のほか、和尚が専攻していた臨床心理学系の本もあり、私はいつも午後の休憩時間はここにきて読書していた。空調設備もついていて暖かい快適な環境だった。

禅堂に置かれた木造の仏さま

 禅堂で寝泊まりする男性には一畳分だけスペースが与えられる。寝る時以外の各寝具の置き方は上の写真のように定められていて、起きたらすぐにこの状態に整える必要がある。

本来の坐禅は地べたにペタっと座るだけなのだが、日本人はその体型的な問題から(仏教伝来のインド人よりも足が短い)座布団を使って座るときの姿勢をサポートする慣習が根付いたらしい。

各自の荷物は、畳の下にあるスペースを活用する。慣れないうちは使い方がわからずとまどった……

坐禅時、足が組めない人への救済策その一

クッションに膝立ちになり、そのまま腰を下ろしてくるところに木の椅子を挟む(正座のような姿勢で木の椅子に腰かける)これだけでだいぶ膝や足首への負担が減るらしい。

坐禅時、足が組めない人への救済策その二

足を組むでも正座するでもなく、ただ禅堂という空間に座って瞑想する。この方法があるおかげで、そもそも座ることができない人以外はすべて坐禅を体験することができるようになっている。

 

貴重品ロッカーまである。すごい。

禅堂全体はこんな感じ。手前の島は、ログハウスで寝泊まりしている女性たちが座る(寝る場所としては使わない)

ここに座る人が、禅堂で修行する人たちの音頭を取る。いうなれば一番偉い人が座る。たまたまわたしはこの隣の席だったので、毎回かなり緊張して坐禅に挑んでいた。

 持鉢と食事の際によむ経文。トラウマがよみがえる。

 寝具は頭上にあるスペースに丸めて仕舞う。これにもまた決まりがあるので従うこと。 

 午後の自由時間は昼寝している人も多い。この時間以外は基本的に精神を張り詰めてばかりなので致し方ないと思う。

 

言い忘れていたが、禅堂はハナレの二階にある。(どこでもそうというわけではない)

最終日のあと、帰路に就く際の一枚。嵯峨野線沿線はちょうど季節ということもあり紅葉がとてもきれいで、かつトロッコ列車目当ての客がたくさんいてとてもにぎわっていた。

日記 - 宝泉寺禅センターでの修行 最終日

※この記事では、2017/11/03-2017/11/06までの修行期間、その一日目に書かれた日記を、誤字脱字を校正し書き直したものです。(殆ど原文そのまま)

修行全体をまとめた記事はこちらです。 

 

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5:15に目が覚める。やっとリズムが染みてきたところだが、今日が下山日。起こされるがまま寝具を片づけ、談話室へ。コーヒーで目を覚ます…のも良いのだが、尿意のことも考えていっぱいのお茶だけ飲み歩く禅へ。ハチナンキンという太極拳、いまだにどういう字を書くのかわからない。呼吸も板についてきた…のかな?思うに、かなり脈拍に関係している。ドキドキとは言わないまでも、脈を意識できるときは呼吸が乱れやすい。心ノ臓だけでなく、全身の巡りを考えるのだろうか。

 

あっというまに時が過ぎる。

 

朝のカボチャの煮つけがとてもおいしかった。気づけば懐石を楽しむ余裕が現れてきた。ついでに粥のおかわりまでした。結局最後まで細かいところを注意され続けた食事作法であるが、とてもいい経験になったと思う。持鉢の管理なども含めて、あれができるのは肉や魚をつかわない精進料理の特性あってこそのものだろう。脂もなければ香辛料や発酵物もない。ぜひとも日常生活に戻ったらきちんと食器の管理ができるよう心掛けたい。

 

下山当日であるため、このタイミングで一旦滝ノ間(応接室)へ。最後にお布施と修行に関するアンケートを提出した。良い日々だった。いい修行になった。人生がどうしようもなくなった時のセーフティネットとしてまた来る日があるかもしれない。

 

と、本来はここで下山であるが、昼食を頂くため居残って作務をやることに。またもや堆肥移動であるが、重労働である分だけ昼飯もさぞうまいことだろう、とノリノリであった。昼は、わさび醤油を少し垂らしたちらし寿司を頂いた。酢飯の甘さとわさび醤油の辛さが相まって初めて食べたおいしさだった。典座寮で昼と夜の食事を作ってくださる岩崎さんに深く感謝申し上げたい……。

 

もう帰れという視線もそこそこに、最後にシャワーを借りた。シャワー室にはドライヤーもあればシャンプーもボディソープもあり、まさに至れり尽くせりであった。最高。

 

下山者は朝食のあとでほかの修行者たちに対面して別れの言葉を伝えるタイミングがある。その時に自然と口に出たのは、禅修行そのもの以外に談話室で人のやさしさ/弱さ/強さ/すばらしさに触れることができるという経験が非常にありがたかったということだ。例えば、自分と同じように悩む境遇にあっても、わざわざ寺まで来れない人もいる。実際に彼らの助けになることはできないかもしれないが、これを読んでいる誰かに向けていえば、道に迷うことがあればぜひ来てみてほしいと願う。

 

参考文献

  1. 修行案内 - 宝泉寺禅センター
    ここから問い合わせてみてほしい

日記 - 宝泉寺禅センターでの修行 3日目

※この記事では、2017/11/03-2017/11/06までの修行期間、その一日目に書かれた日記を、誤字脱字を校正し書き直したものです。(殆ど原文そのまま)

修行全体をまとめた記事はこちらです。 

 

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05:20起床。今日もまた二度寝三度寝した後に起きる。昨日は寝る直前にカフェオレを飲んでしまったのがいけない。一方で体は休められたらしい(謎)さて、まずは談話室で温かなお茶を飲む。5:40からの歩く禅と太極拳までは少し時間がある。境内を歩き回る。丹田呼吸とともに体を温める。すべて終え、最後に後ろを向いて初めて、満月が出ていることを知る。

 

朝の坐禅を二セット挟み、朝課。のち、そうじ。二回目の掃除場所もまた昨日と同じくシャワー室。終わって小休憩をはさみ、懐石。またも正座に苦しめられる時間。胡麻和えの野菜がおいしかった。相変わらず足は痺れるが、今回もまた両手でのサポートなしに食事を終えることができた。自分の本質そのものは変わっていなくとも、体質は少し改善されたように思う。食事を終え30分ほどのフリータイム。ここまでで現在8時40分、体感だと終わりの見えないとてつもなく長い時間であるが、振り返ると一瞬刹那の出来事である。そしてそれはまた美化されたものに感じる。苦が幸せ、とは苦しんでいる最中には考えられないことではあるが、……どうなのだろうか?

 

 

(※夜の坐禅を終えて就寝前最後の自由時間でのメモ)

端的に言うと、一瞬で時間が跳んだ間隔。確かに経験したはずの時が凝縮されているというか、ありありと思いだせるのだが、それは一瞬で過ぎ去ってしまう。夕の薬石も正座のままやり遂げた。あと一回(朝の懐石)だけで(修行が)終わるのか…?

 

今というときは限りなく長く感じるのに、過去があまりにも短すぎる……

おやすみなさい。

日記 - 宝泉寺禅センターでの修行 2日目

※この記事では、2017/11/03-2017/11/06までの修行期間、その一日目に書かれた日記を、誤字脱字を校正し書き直したものです。(殆ど原文そのまま)

修行全体をまとめた記事はこちらです。

 

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寝足りない……もう少し寝るべきか……?と思案していたころ、起床の合図が鳴る。この後何をするのかわからないまま布団周りを片づける。着替えるか悩むうちに禅堂(ここで寝泊まりするのは修行者のうち半数ほど)から人が消え、一人取り残される。焦る中、そういえば朝は外で太極拳?であったことを思い出す。11月上旬、つくばならとてもではないが、京都の朝霧は長袖一枚でも存外暖かかった。少しの寒さが肌に刺さるも、丹田呼吸とともに歩く禅(境内を円く周る)と太極拳を行うことで内側から温められた。

禅堂に移動し、小坐禅→本堂に移り朝課。本堂に入る前に経文が手渡され、本堂の奥から順に座り、全員揃ったところで読経開始。木魚と鐘が鳴り響く中、全員で経文をはじめから読み上げていく。この時点で足がつらい…死ぬ…血栓ができて死んでしまう…。読み終えて、心こそ清々しいが立てない。皆に遅れてやっと立つ。痺れる。

持鉢をもち、食堂へ。また正座…今度こそ死にかねない…。朝は粥とおかずのみ。ゆかりのふりかけがおいしく体に染み渡るも、心から味わうことができない。食べ物に関しては、感謝する以前の問題がまだ残ったままだ。足が痛すぎて意識の平常を保てない。たまらず両手で体重を支える。見苦しい。一連の作法もまだ覚えられない。今回は箸を持つお椀を持つ順番を指摘された。もってから、箸。気を付ける。感謝の意思。毎度ながら食事経文を読み上げる。朝は①十仏名②施食之偈③折水之偈である。夕食とは何が違うのか……

 

食事を終えてまた禅堂へ。小坐禅ののち少しの自由時間。ここで寝間着から着替えた。ヒートテックも着たし、対策は万全。午前は作務を行う。外と内、加えて食事を作る典座寮(てんぞりょう、とよむ)を補佐するという大きく分けて三種類の作務があるらしい。男性は主に力仕事の外作務に就く。今回は月に一度あるかないかの「堆肥移動」をおこなった。畑の堆肥を補充する作業である。畑から少し離れたところに落ち葉や残り物?を用いて自家製堆肥を作っているようで、そこから土を選り分けて運んだ。「手箕(てみ)」と呼ばれる道具をバケツのように使いリレー方式。中々に重労働だった。一時間しない程度の作業、五分休憩、前半作務終了。後半は残りの堆肥を運び、余った時間で畑の草抜きをして終わり。全員揃って挨拶をして解散。

 

なんと昼は正座を崩したうえで談笑しながら食べることが許されていた!ベテラン修行者曰く、この時だけが楽しみで毎日修行しているらしい。談話室にいても話題はみんなめしの話ばかりになるとか…平和だ……。今回はそばと里芋団子であった。これがまたうまくてうまくてほんとうに肉を使っていないのが不思議なほどである。

 

 

自由時間を終えて、夕食(薬石)唯一味噌汁が出される場なので、ここできちんと塩分補給しておかないとあとあとつらいことになる。なお、他の施設では暖かいだけで味はかなり質素、というところもあるようだが、この宝泉寺禅センターの典座寮では工夫が凝らされているらしく、とてもおいしく頂ける。ありがたい限りである。そしてこの二日目の夕食、つまり累計三度目の食事でやっと全工程をきちんとした正座の姿勢で終えることができた。見苦しく両手をつき体を支えることもない。なぜこうなったかというと、それは一種あきらめのようなもの、というか、自らが今感じているこの痛みが、この薬石の場では自分に由来する痛みではないのではないか?と思えたからだ。常識的に考えて、他人の痛みを自分のものとして感じることはできない。しかし、食事の場に立つと、料理を用意してくれた常住さんたちの苦労、食材をここまで運んできてくれた人たちの苦労、…と考えをめぐらすうち、食材そのもののありがたみ(いたみ)、そして果てはその土地そのもの、水そのものにいたるまでの『縁起』を感ずることができたからだと思う。こういった考え方に触れて、一つ壁を越えたという実感が湧いた。「これも修行」「これも縁起」の考え方はかなり大きな人生のターニングポイントだと思う。人生そのものが修行?ラクになりたいという気持ちはあれど、そのラクとは?実際にはそれらは錯覚なのではないか?苦も無く楽も無く、ただ“在る”されど“ない”。つまりそこには「無」があるだけなのでは?

 

参考文献

  1. 縁起 - 仏教の教えと瞑想~原始仏教の世界
  2.  無常・苦・無我とは - 仏教の教えと瞑想~原始仏教の世界

日記 - 宝泉寺禅センターでの修行 1日目

※この記事では、2017/11/03-2017/11/06までの修行期間、その一日目に書かれた日記を、誤字脱字を校正し書き直したものです。(殆ど原文そのまま)

修行全体をまとめた記事はこちらです。

 

ningensei848.hatenablog.com

きてから,

  • 柿の実を一つ二つ残してあるのが印象的だった
  • 意外に人が多い(女性の方が多いのも驚いた)
  • 正座がきつすぎる
  • 庭が趣あるつくり
  • 敷地の見回り:宿坊として最高.図書室もあった
  • 食事作法が覚えられない…みようみまね
  • →正座ができず,食事=修行になってしまいそうだ
  • 合掌,合掌低頭,しゃうさく?←字がわからない
  • いざ坐禅→圧倒されるがまま経文を大声で唱える
  • それに至るまでの静寂で耳が壊れそうである
  • 食事…先輩方のパントマイム?足が痛すぎて思考停止
  • →食前も経文を読む。キツイ……
  • 「サバ」?「アジ」?→なんだか餓鬼を払う呪いとして米粒を三つほど捧げる
  • 自由時間.中央法のすごいやつ他、様々なところからいろいろな背景の人々
  • 禅の心構えの説法
  • 電子機器をOFFにせよ!
    しかし、説法している和尚のアップルウォッチが起動しsiriが検索し始める
  • 再度坐禅.呼吸を乱さない一方、音を出すのもだめ……ムリ……

坐禅のち…

シャワーを浴びられた。タオルと着替えさえあればよいようだ。快適。

布団周りもなかなか快適。22時消灯。5時20分起床。健康的すぎる。

 

説法の内容

心身一如→調身,調息,調心 (注;この記事を参考)

縁起 → 条件のようなもの おごりがなくなり諦めがしやすく。

尊いものは下にゆく 水然り。目には見えない力に逆らわない。

そこに何かがあると錯覚しているだけ。

そこには何もない。無だけが在る。

 

禅の間に…

禅堂にはあらゆる思考を持ち込まない。

目を閉じてはいけない。それは集中できない。

(思うに、目を開けて見る“現実”世界と目を閉じてつくる“想像”世界と、集中すべき芭蕉を違えてはいけない…のだと考える。あくまで現世で)

例えばゲームに集中していたら長い時間が過ぎてしまっていたように、「呼吸」のみに意識を集める。臍下丹田の呼吸。しかしその摩擦音を出してはいけない。そのほか、致し方ない反射的な生理現象であっても、なるべく控える。(それができる、という前提で禅堂に入れさせてもらっている、ということ?)咳、くしゃみ、鼻をすする等。

 

参考文献

  1. 禅の言葉:「調身・調息・調心」正しい姿で坐禅を組めばざわめく心も鎮まる(1/2ページ):nikkei BPnet 〈日経BPネット〉
  2. 縁起 - Wikipedia (ここでは仏教思想の縁起について解説されている)

  3. 高橋憲吾のページ -エンサイクロメディア空海- 空と縁起について