日記 - 宝泉寺禅センターでの修行 1日目
※この記事では、2017/11/03-2017/11/06までの修行期間、その一日目に書かれた日記を、誤字脱字を校正し書き直したものです。(殆ど原文そのまま)
修行全体をまとめた記事はこちらです。
きてから,
- 柿の実を一つ二つ残してあるのが印象的だった
- 意外に人が多い(女性の方が多いのも驚いた)
- 正座がきつすぎる
- 庭が趣あるつくり
- 敷地の見回り:宿坊として最高.図書室もあった
- 食事作法が覚えられない…みようみまね
- →正座ができず,食事=修行になってしまいそうだ
- 合掌,合掌低頭,しゃうさく?←字がわからない
- いざ坐禅→圧倒されるがまま経文を大声で唱える
- それに至るまでの静寂で耳が壊れそうである
- 食事…先輩方のパントマイム?足が痛すぎて思考停止
- →食前も経文を読む。キツイ……
- 「サバ」?「アジ」?→なんだか餓鬼を払う呪いとして米粒を三つほど捧げる
- 自由時間.中央法のすごいやつ他、様々なところからいろいろな背景の人々
- 禅の心構えの説法
- 電子機器をOFFにせよ!
しかし、説法している和尚のアップルウォッチが起動しsiriが検索し始める - 再度坐禅.呼吸を乱さない一方、音を出すのもだめ……ムリ……
坐禅のち…
シャワーを浴びられた。タオルと着替えさえあればよいようだ。快適。
布団周りもなかなか快適。22時消灯。5時20分起床。健康的すぎる。
説法の内容
心身一如→調身,調息,調心 (注;この記事を参考)
縁起 → 条件のようなもの おごりがなくなり諦めがしやすく。
尊いものは下にゆく 水然り。目には見えない力に逆らわない。
そこに何かがあると錯覚しているだけ。
そこには何もない。無だけが在る。
禅の間に…
禅堂にはあらゆる思考を持ち込まない。
目を閉じてはいけない。それは集中できない。
(思うに、目を開けて見る“現実”世界と目を閉じてつくる“想像”世界と、集中すべき芭蕉を違えてはいけない…のだと考える。あくまで現世で)
例えばゲームに集中していたら長い時間が過ぎてしまっていたように、「呼吸」のみに意識を集める。臍下丹田の呼吸。しかしその摩擦音を出してはいけない。そのほか、致し方ない反射的な生理現象であっても、なるべく控える。(それができる、という前提で禅堂に入れさせてもらっている、ということ?)咳、くしゃみ、鼻をすする等。
参考文献
- 禅の言葉:「調身・調息・調心」正しい姿で坐禅を組めばざわめく心も鎮まる(1/2ページ):nikkei BPnet 〈日経BPネット〉
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縁起 - Wikipedia (ここでは仏教思想の縁起について解説されている)
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高橋憲吾のページ -エンサイクロメディア空海- 空と縁起について