気合でなんとか

@Ningensei848が頑張った記録

日記 - 宝泉寺禅センターでの修行 2日目

※この記事では、2017/11/03-2017/11/06までの修行期間、その一日目に書かれた日記を、誤字脱字を校正し書き直したものです。(殆ど原文そのまま)

修行全体をまとめた記事はこちらです。

 

ningensei848.hatenablog.com

寝足りない……もう少し寝るべきか……?と思案していたころ、起床の合図が鳴る。この後何をするのかわからないまま布団周りを片づける。着替えるか悩むうちに禅堂(ここで寝泊まりするのは修行者のうち半数ほど)から人が消え、一人取り残される。焦る中、そういえば朝は外で太極拳?であったことを思い出す。11月上旬、つくばならとてもではないが、京都の朝霧は長袖一枚でも存外暖かかった。少しの寒さが肌に刺さるも、丹田呼吸とともに歩く禅(境内を円く周る)と太極拳を行うことで内側から温められた。

禅堂に移動し、小坐禅→本堂に移り朝課。本堂に入る前に経文が手渡され、本堂の奥から順に座り、全員揃ったところで読経開始。木魚と鐘が鳴り響く中、全員で経文をはじめから読み上げていく。この時点で足がつらい…死ぬ…血栓ができて死んでしまう…。読み終えて、心こそ清々しいが立てない。皆に遅れてやっと立つ。痺れる。

持鉢をもち、食堂へ。また正座…今度こそ死にかねない…。朝は粥とおかずのみ。ゆかりのふりかけがおいしく体に染み渡るも、心から味わうことができない。食べ物に関しては、感謝する以前の問題がまだ残ったままだ。足が痛すぎて意識の平常を保てない。たまらず両手で体重を支える。見苦しい。一連の作法もまだ覚えられない。今回は箸を持つお椀を持つ順番を指摘された。もってから、箸。気を付ける。感謝の意思。毎度ながら食事経文を読み上げる。朝は①十仏名②施食之偈③折水之偈である。夕食とは何が違うのか……

 

食事を終えてまた禅堂へ。小坐禅ののち少しの自由時間。ここで寝間着から着替えた。ヒートテックも着たし、対策は万全。午前は作務を行う。外と内、加えて食事を作る典座寮(てんぞりょう、とよむ)を補佐するという大きく分けて三種類の作務があるらしい。男性は主に力仕事の外作務に就く。今回は月に一度あるかないかの「堆肥移動」をおこなった。畑の堆肥を補充する作業である。畑から少し離れたところに落ち葉や残り物?を用いて自家製堆肥を作っているようで、そこから土を選り分けて運んだ。「手箕(てみ)」と呼ばれる道具をバケツのように使いリレー方式。中々に重労働だった。一時間しない程度の作業、五分休憩、前半作務終了。後半は残りの堆肥を運び、余った時間で畑の草抜きをして終わり。全員揃って挨拶をして解散。

 

なんと昼は正座を崩したうえで談笑しながら食べることが許されていた!ベテラン修行者曰く、この時だけが楽しみで毎日修行しているらしい。談話室にいても話題はみんなめしの話ばかりになるとか…平和だ……。今回はそばと里芋団子であった。これがまたうまくてうまくてほんとうに肉を使っていないのが不思議なほどである。

 

 

自由時間を終えて、夕食(薬石)唯一味噌汁が出される場なので、ここできちんと塩分補給しておかないとあとあとつらいことになる。なお、他の施設では暖かいだけで味はかなり質素、というところもあるようだが、この宝泉寺禅センターの典座寮では工夫が凝らされているらしく、とてもおいしく頂ける。ありがたい限りである。そしてこの二日目の夕食、つまり累計三度目の食事でやっと全工程をきちんとした正座の姿勢で終えることができた。見苦しく両手をつき体を支えることもない。なぜこうなったかというと、それは一種あきらめのようなもの、というか、自らが今感じているこの痛みが、この薬石の場では自分に由来する痛みではないのではないか?と思えたからだ。常識的に考えて、他人の痛みを自分のものとして感じることはできない。しかし、食事の場に立つと、料理を用意してくれた常住さんたちの苦労、食材をここまで運んできてくれた人たちの苦労、…と考えをめぐらすうち、食材そのもののありがたみ(いたみ)、そして果てはその土地そのもの、水そのものにいたるまでの『縁起』を感ずることができたからだと思う。こういった考え方に触れて、一つ壁を越えたという実感が湧いた。「これも修行」「これも縁起」の考え方はかなり大きな人生のターニングポイントだと思う。人生そのものが修行?ラクになりたいという気持ちはあれど、そのラクとは?実際にはそれらは錯覚なのではないか?苦も無く楽も無く、ただ“在る”されど“ない”。つまりそこには「無」があるだけなのでは?

 

参考文献

  1. 縁起 - 仏教の教えと瞑想~原始仏教の世界
  2.  無常・苦・無我とは - 仏教の教えと瞑想~原始仏教の世界