気合でなんとか

@Ningensei848が頑張った記録

日記 - 宝泉寺禅センターでの修行 参考資料

※この記事は、2017/11/03-2017/11/06までの修行期間、その間に撮影した写真をまとめて置いておくところです。何となく雰囲気がわかると思います。内装は残念ながらほとんど写真が撮れませんでした(人が多く常にだれかいたため)

修行全体をまとめた記事はこちらです。 

 

ningensei848.hatenablog.com

 

 京都駅から馬掘駅に向かう嵯峨野線

臨済宗宝泉寺 正面入り口

※写真では写っていないが、秋の台風のせいで門が吹き飛んでいた。改修工事中でした。

正面石階段の両側には柿の木があり、枝の先に二つ三つ実が取り残されていた。

このように、実がなる種類の木からその実を二、三粒残して収穫するしきたりを「木名乗り」「木名残り」「木守り」と呼ぶ。(地域差がある)

その意味はぜひ自分で調べてみてほしい。

 

宝泉寺から見た亀岡市馬掘の風景。寺は少し高いところにあるので、こうして一望することができる。

 

 

 洗濯機と乾燥機付き。タオル以外の洗濯物は基本的に洗濯即乾燥機に突っ込む形。一回200円。これを下山時におさめる。

 当然のようにねこが配備されている。 

 

 流石京都といった感じの雰囲気をもつ庭がある。しかしこれも台風で一部崩れてしまったらしい。その上の方にはログハウス(女性用の寝室)がある

 畑

 

上から庭をみた図

寺なので当然檀家の墓もある。ログハウスへは、その墓の隙間を通っていく必要がある。

ラフな格好の住職さんだな~~~と思ってたら一般の修行者でした……(といっても禅修行20年のベテランだけども)

もふろうと思えば意外に簡単にももふれる

奥が食堂と談話室と禅堂があるハナレ、手前が本堂。

 

 

少し離れたところにもいくつかログハウス。ここは常住さんたちの寝室。

 お経の練習をする住職見習いの方(なんと尼さんでした) 

驚くべきことに、図書室まで備えていた。仏教系のほか、和尚が専攻していた臨床心理学系の本もあり、私はいつも午後の休憩時間はここにきて読書していた。空調設備もついていて暖かい快適な環境だった。

禅堂に置かれた木造の仏さま

 禅堂で寝泊まりする男性には一畳分だけスペースが与えられる。寝る時以外の各寝具の置き方は上の写真のように定められていて、起きたらすぐにこの状態に整える必要がある。

本来の坐禅は地べたにペタっと座るだけなのだが、日本人はその体型的な問題から(仏教伝来のインド人よりも足が短い)座布団を使って座るときの姿勢をサポートする慣習が根付いたらしい。

各自の荷物は、畳の下にあるスペースを活用する。慣れないうちは使い方がわからずとまどった……

坐禅時、足が組めない人への救済策その一

クッションに膝立ちになり、そのまま腰を下ろしてくるところに木の椅子を挟む(正座のような姿勢で木の椅子に腰かける)これだけでだいぶ膝や足首への負担が減るらしい。

坐禅時、足が組めない人への救済策その二

足を組むでも正座するでもなく、ただ禅堂という空間に座って瞑想する。この方法があるおかげで、そもそも座ることができない人以外はすべて坐禅を体験することができるようになっている。

 

貴重品ロッカーまである。すごい。

禅堂全体はこんな感じ。手前の島は、ログハウスで寝泊まりしている女性たちが座る(寝る場所としては使わない)

ここに座る人が、禅堂で修行する人たちの音頭を取る。いうなれば一番偉い人が座る。たまたまわたしはこの隣の席だったので、毎回かなり緊張して坐禅に挑んでいた。

 持鉢と食事の際によむ経文。トラウマがよみがえる。

 寝具は頭上にあるスペースに丸めて仕舞う。これにもまた決まりがあるので従うこと。 

 午後の自由時間は昼寝している人も多い。この時間以外は基本的に精神を張り詰めてばかりなので致し方ないと思う。

 

言い忘れていたが、禅堂はハナレの二階にある。(どこでもそうというわけではない)

最終日のあと、帰路に就く際の一枚。嵯峨野線沿線はちょうど季節ということもあり紅葉がとてもきれいで、かつトロッコ列車目当ての客がたくさんいてとてもにぎわっていた。