日記 - 宝泉寺禅センターでの修行 2日目
※この記事では、2017/11/03-2017/11/06までの修行期間、その一日目に書かれた日記を、誤字脱字を校正し書き直したものです。(殆ど原文そのまま)
修行全体をまとめた記事はこちらです。
寝足りない……もう少し寝るべきか……?と思案していたころ、起床の合図が鳴る。この後何をするのかわからないまま布団周りを片づける。着替えるか悩むうちに禅堂(ここで寝泊まりするのは修行者のうち半数ほど)から人が消え、一人取り残される。焦る中、そういえば朝は外で太極拳?であったことを思い出す。11月上旬、つくばならとてもではないが、京都の朝霧は長袖一枚でも存外暖かかった。少しの寒さが肌に刺さるも、丹田呼吸とともに歩く禅(境内を円く周る)と太極拳を行うことで内側から温められた。
禅堂に移動し、小坐禅→本堂に移り朝課。本堂に入る前に経文が手渡され、本堂の奥から順に座り、全員揃ったところで読経開始。木魚と鐘が鳴り響く中、全員で経文をはじめから読み上げていく。この時点で足がつらい…死ぬ…血栓ができて死んでしまう…。読み終えて、心こそ清々しいが立てない。皆に遅れてやっと立つ。痺れる。
持鉢をもち、食堂へ。また正座…今度こそ死にかねない…。朝は粥とおかずのみ。ゆかりのふりかけがおいしく体に染み渡るも、心から味わうことができない。食べ物に関しては、感謝する以前の問題がまだ残ったままだ。足が痛すぎて意識の平常を保てない。たまらず両手で体重を支える。見苦しい。一連の作法もまだ覚えられない。今回は箸を持つお椀を持つ順番を指摘された。もってから、箸。気を付ける。感謝の意思。毎度ながら食事経文を読み上げる。朝は①十仏名②施食之偈③折水之偈である。夕食とは何が違うのか……
食事を終えてまた禅堂へ。小坐禅ののち少しの自由時間。ここで寝間着から着替えた。ヒートテックも着たし、対策は万全。午前は作務を行う。外と内、加えて食事を作る典座寮(てんぞりょう、とよむ)を補佐するという大きく分けて三種類の作務があるらしい。男性は主に力仕事の外作務に就く。今回は月に一度あるかないかの「堆肥移動」をおこなった。畑の堆肥を補充する作業である。畑から少し離れたところに落ち葉や残り物?を用いて自家製堆肥を作っているようで、そこから土を選り分けて運んだ。「手箕(てみ)」と呼ばれる道具をバケツのように使いリレー方式。中々に重労働だった。一時間しない程度の作業、五分休憩、前半作務終了。後半は残りの堆肥を運び、余った時間で畑の草抜きをして終わり。全員揃って挨拶をして解散。
なんと昼は正座を崩したうえで談笑しながら食べることが許されていた!ベテラン修行者曰く、この時だけが楽しみで毎日修行しているらしい。談話室にいても話題はみんなめしの話ばかりになるとか…平和だ……。今回はそばと里芋団子であった。これがまたうまくてうまくてほんとうに肉を使っていないのが不思議なほどである。
自由時間を終えて、夕食(薬石)唯一味噌汁が出される場なので、ここできちんと塩分補給しておかないとあとあとつらいことになる。なお、他の施設では暖かいだけで味はかなり質素、というところもあるようだが、この宝泉寺禅センターの典座寮では工夫が凝らされているらしく、とてもおいしく頂ける。ありがたい限りである。そしてこの二日目の夕食、つまり累計三度目の食事でやっと全工程をきちんとした正座の姿勢で終えることができた。見苦しく両手をつき体を支えることもない。なぜこうなったかというと、それは一種あきらめのようなもの、というか、自らが今感じているこの痛みが、この薬石の場では自分に由来する痛みではないのではないか?と思えたからだ。常識的に考えて、他人の痛みを自分のものとして感じることはできない。しかし、食事の場に立つと、料理を用意してくれた常住さんたちの苦労、食材をここまで運んできてくれた人たちの苦労、…と考えをめぐらすうち、食材そのもののありがたみ(いたみ)、そして果てはその土地そのもの、水そのものにいたるまでの『縁起』を感ずることができたからだと思う。こういった考え方に触れて、一つ壁を越えたという実感が湧いた。「これも修行」「これも縁起」の考え方はかなり大きな人生のターニングポイントだと思う。人生そのものが修行?ラクになりたいという気持ちはあれど、そのラクとは?実際にはそれらは錯覚なのではないか?苦も無く楽も無く、ただ“在る”されど“ない”。つまりそこには「無」があるだけなのでは?
参考文献
日記 - 宝泉寺禅センターでの修行 1日目
※この記事では、2017/11/03-2017/11/06までの修行期間、その一日目に書かれた日記を、誤字脱字を校正し書き直したものです。(殆ど原文そのまま)
修行全体をまとめた記事はこちらです。
きてから,
- 柿の実を一つ二つ残してあるのが印象的だった
- 意外に人が多い(女性の方が多いのも驚いた)
- 正座がきつすぎる
- 庭が趣あるつくり
- 敷地の見回り:宿坊として最高.図書室もあった
- 食事作法が覚えられない…みようみまね
- →正座ができず,食事=修行になってしまいそうだ
- 合掌,合掌低頭,しゃうさく?←字がわからない
- いざ坐禅→圧倒されるがまま経文を大声で唱える
- それに至るまでの静寂で耳が壊れそうである
- 食事…先輩方のパントマイム?足が痛すぎて思考停止
- →食前も経文を読む。キツイ……
- 「サバ」?「アジ」?→なんだか餓鬼を払う呪いとして米粒を三つほど捧げる
- 自由時間.中央法のすごいやつ他、様々なところからいろいろな背景の人々
- 禅の心構えの説法
- 電子機器をOFFにせよ!
しかし、説法している和尚のアップルウォッチが起動しsiriが検索し始める - 再度坐禅.呼吸を乱さない一方、音を出すのもだめ……ムリ……
坐禅のち…
シャワーを浴びられた。タオルと着替えさえあればよいようだ。快適。
布団周りもなかなか快適。22時消灯。5時20分起床。健康的すぎる。
説法の内容
心身一如→調身,調息,調心 (注;この記事を参考)
縁起 → 条件のようなもの おごりがなくなり諦めがしやすく。
尊いものは下にゆく 水然り。目には見えない力に逆らわない。
そこに何かがあると錯覚しているだけ。
そこには何もない。無だけが在る。
禅の間に…
禅堂にはあらゆる思考を持ち込まない。
目を閉じてはいけない。それは集中できない。
(思うに、目を開けて見る“現実”世界と目を閉じてつくる“想像”世界と、集中すべき芭蕉を違えてはいけない…のだと考える。あくまで現世で)
例えばゲームに集中していたら長い時間が過ぎてしまっていたように、「呼吸」のみに意識を集める。臍下丹田の呼吸。しかしその摩擦音を出してはいけない。そのほか、致し方ない反射的な生理現象であっても、なるべく控える。(それができる、という前提で禅堂に入れさせてもらっている、ということ?)咳、くしゃみ、鼻をすする等。
参考文献
- 禅の言葉:「調身・調息・調心」正しい姿で坐禅を組めばざわめく心も鎮まる(1/2ページ):nikkei BPnet 〈日経BPネット〉
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縁起 - Wikipedia (ここでは仏教思想の縁起について解説されている)
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高橋憲吾のページ -エンサイクロメディア空海- 空と縁起について
ある図書館情報学徒の進路の話 その0
ある日ふと思う。このままつくばで司書になって死ぬのかと。
Twitterで「プログラマ 就活」とか「コード 就活 優秀」とかで検索した。
みんな就活就活いうてるけど、プログラミングがめっちゃ書ける人で苦労してる人知らないし、むしろ引く手あまたな人ばっかって感じなので、プログラミングめっちゃ書けるようになる方が就活頑張るよりいいよ(´・_・`)
— Hideyuki Tanaka (@tanakh) 2017年11月5日
アメリカのウルトラ・ハイスペックな学生はこんな感じ:学部終わって、起業してソフト書いて、別の起業に雇われてプログラマとして2年働いてから、修士課程に入って研究室でさらに経験を磨く。
— Hiro Ono / 小野雅裕 (@masahiro_ono) 2017年11月4日
日本の学生も優秀じゃないわけじゃないけど、機会の多様性に乏しいのがハンデだよなぁ。
コードが書ける大学生はTwitterで「お仕事募集します」というと就活が完了するらしい
— yukito ohira (@yohira_dev) 2017年11月14日
そもそも優秀な新卒っていうのは(特にプログラマ)就活以前にいろいろな企業から声が掛かってるので、マイナビとかリクナビに登録したところで優秀なやつなんて応募に来ない
— Kazuya Gokita (@kazoo04) 2012年4月22日
就活における優秀人材とは「高感度人材」だろう。アンテナが高く、消費に長け、どんな経験を消費すればどんなPRになるかをきっちり知っている人間だ。消費社会における意味づけコードをいち早く理解し、自己のアイデンティティも消費によって改変していく。大卒を採る意味はスクリーニング以外ない。
— Yuki (@pociy) 2012年1月30日
大学の学びとは何だろうと思うときもある。ベンチャーなり企業なり、実戦経験こそが最も重要なのではないかとかも。
自分は研究がやりたいのか?開発がやりたいのか?それとも、芸術とか?
少なくとも司書になって司書のまま社会を嘆いて、或いは何も感じなくなって死ぬのは嫌だ。本能で拒否している。かといって、このまま大学の勉強をひたむきに続けていたからといって、何者になれるわけでもない。ちょっとプログラミング言語に触ったことのある司書の卵、あるいはコンサルの紛い物が出来上がるだけだろう。プログラミングって難しいし苦しいよね(笑)そんな軽い印象で2年も3年も費やしてたまるか。司書資格はもちろん取る。ここにきて司書にさえもなれませんでした~~とか笑えない。
しかし、将来的に定職として選ぶ道ではない。"Librarian"としての矜持をもって卒業した後の人生を過ごしたいと考える。じゃあいったい何になりたいのか。
人生の至上の目標として掲げうるもの、それは私にとって魂が震える物語を紡ぎだすこと、というのが現段階での結論である。そのストーリーにふれて自然と涙があふれる。感情が突き動かされる。そんな体験が老いた肉体にさえも訪れるとしたら、そんな体験がいくつになっても尽きないものであったら。そんな人生でありたいと私は考える。
それでは、どうすればそこにたどり着けるだろうか。そのステージに至るためにいくつか“資格”が必要だと感じている。まず一つ目に創造性、次に余裕、そして最後につながりである。
膨大な人生経験の蓄積、或いは不断の努力に基づいた知識によって創造性が培われていく。これに関しては、何をどうすれば良いという指標はない。常に創造性の源泉がどこにあるのか意識し探究し続けなければならない。
身体的・精神的・金銭的・時間的・空間的に余裕を持つために何が必要であろう。それは、変わり続けることに他ならない。誰かがある一つのナニカになったとして、それがずっと変わらぬままその状態が続いていくことなどありえないし、変化がなくなった時点でそれは死と同義だといわれる。この状態は実際に私が経験したわけではない……経験したわけではないが、それを自己の経験により知ってしまうフェーズにまで至った時点ですべてがだめになり、時すでに遅しだろうと思う。だから私は、私たちは変わり続けなければならない。
つながりというものはいったい何であろうか。見えないし触れない。聞こえないし感じない。誰かがきっとそこにあるだろうと検討を付けて(半ば盲目的に信頼しきって)行動するものである。日常生活でそれを捉えるためには、なにより動き続けねばならない。例えば、自分が自分だけであると思うこともある。それは一見当たり前のことであるし、それ以外に感じようがない。しかし、自分は自分以外のすべてで出来ていると思い込めばどうだろうか。思い返せば、自分を形作るすべては、もとはおしなべて自分以外のものだったはずである。それらは自分という主体が動き回ることで得たもの。動きを止め「自分は確かに自分である」とか、「本当の自分とはどこにあるのか」とか探し始めても見つかるはずはないのである。そういった行いのために大切なものを見落としてしまう。そこにあるはずの、自分と自分以外をつなぐ何かを見過ごしてしまうだろう。動き続けてそれがつながり、広がっていく。そう思い込む。自分は自分以外の誰かとのつながりによって形作られ、動き続けることによってそれらは維持されている。
閑話休題。
大学で学ぶことはもちろんすべて学びつくす。すべてを吸い上げる気持ちで臨む。きっとそれは無理だけれど、少しでもそこに近づこうとしてみる。
そして来年からは社会に学んでみる。どこかにインターンする。お金を稼ぐ。自分で日程を決めてweb開発を進めるのは最後の手段に取っておこう。
お金が貯まったら、それを元手にワーホリに行こう。まずは世界の流刑地オーストラリア。なんだってできる。何でもやろう。英語を身に付けることを第一目標に。
そうなったとき、キャリアのどの段階でワーホリに臨めるだろうか。この問題は後々響いてくる。4年次の春からワーホリに行くのが、現状の自分でお金を稼ぐとして考えうる最短な気もする。軍資金としての1,000,000円を用意するのには、今からだとそのぐらいかかるだろう。そうすると、卒研がどうなってしまうのだろう。1年空けてから取り組むとなるとまた複雑な気がする。それでは、卒業して院に進学してすぐに休学→ワーホリだろうか?それもまた違う気もする。実現可能性が最も高いのはその時期だと考えてはいるのだが。
これはインターンなりバイトなりを少しずつ頑張って得られるお金を蓄えて目指す場合の計画である。ド本命は、3年次の秋から休学しワーホリに臨むことであると私は考える。“web開発は最後の手段”というのは、逃げではないが堅実すぎる一方スケールしない。しかし幸いなことに、webサービスの概要を先人たちに相談しているうち、その形がおのずと見えてきた。自分自身もそれを必要としているし、必ずやほかのだれもがそれを必要とするだろう。或いは、時代がそれを必要としているかもしれない……、そんなアイデアが私にはある。なるべく早くそれを実現し収益につなげて、今後の自分の人生の糧としたい。自分にはきっとできるし、きっと自分にしかできないことだ。このすばらしさを知っているのは人類で自分一人だけ。
いまはきっと頭のおかしいやつ・意識が高まりすぎてしまった人と思われるだろう。そのような評価をはねのけて、新たな時代に一石を投じたい。 オワオワリ。
2017秋学期 木曜 量的調査法 7週目
前回までのあらすじ
復習:離散尺度の単純集計:度数分布表と棒グラフ・円グラフ
離散尺度ではそれぞれの尺度がどのような頻度で起きたかを表にまとめる.これを度数分布表という.
また,度数を直観的に比較するために棒グラフ,相対度数を表現するためには円グラフを使用する.
科学の世界におけるグラフは数値を直観的に理解するための道具であり,数値を正確に表現することが本質であることに注意する必要がある.
連続尺度の単純集計:ヒストグラムと二種類の特性値
Excel ではちゃんとしたヒストグラムは描けない(手間がかかる).
Excel で特性値を計算させるには,「ツール」メニューから「アドイン」を実行し,「分析ツール」にチェックを入れる.
- 中央値(メディアン):
これまた同じ考え方で,大きさの順に並べた際に二等分する値.つまり 50 パーセンタイル.
便宜的に 4 個のデータがある時には 2 番目と 3 番目の値の平均,5 個のデータがあるときには 3 番目の値を指す. - 最大値・最小値:説明省略
- モーメント:
変数値のべき乗(r 乗)の期待値を(r 次の)moment(=積率)という.
ある値との差の r 乗の期待値を r 次の central moment(=偏差積率)という.
(力学からの類推)→計算が簡単,正規分布の特性値と一致(うれしい),外れ値の影響大(悲しい) - (標本)平均:(原点(=0)まわりの)1 次の積率
- (標本)分散:標本平均まわりの 2 次の偏差積率
- 標準偏差:分散の正の平方根→単位が一致(うれしい)標準誤差:統計量自体の標準偏差.通常は標本平均の標準偏差
- 95%信頼区間:
母平均が95%の確率でその範囲にあるということを表す。
例えば、「母集団から標本を取ってきて、その平均から95%信頼区間を求める」、という作業を100回やったときに、95回はその区間の中に母平均が含まれることになる。
汎用統計分析ソフトウェア:SPSS
2010 年に IBM に買収され,IBM SPSS という名前になった、統計処理と多変量解析を行うためのソフトウェア。 SAS と並んで大型計算機時代からの長い歴史を持っている.
日本の汎用統計ソフトウェア市場では,一般向けでは SPSS,研究者向けでは R(フリーソフト)がそれぞれ多くの利用者を獲得している.
クロス集計と分割表による分析
分割表を読むと,二つの変数間でどのように構成比が違うかを確認することができる.
重要なこと:<二つの変数の関係の有無を分析するのであって,普通の意味での因果関係を検証するものではない.
一般に二種類の変数間の関係を分析する上で,以下の組み合わせが考えられる.
- 分割表の分析:
2 種類の離散変数の反応に特定の傾向が見られるかを分析する.→特定の傾向が無い可能 性(確率)を計量する.これを独立性の検定という. - 一元配置分散分析
離散変数のカテゴリ(例えば男・女)ごとの連続変数の平均値に違いがあるかを分析する. - 相関分析
連続変数同士の関係(例えば A が大きいと B は大きい,A が小さいと B も小さい)の強さを計量する.これを相関係数という
2017秋学期 水曜 図書館建築論 7週目
前回までのあらすじ
まずは観察すること......とはいってもそれには準備がいる。
図書館建築観察のための準備
- 背景情報
- 地図
- 概要
何を持っていくの?
- データノート(観察前に必要事項を記入したモノ)
- ノート(記入するモノ)
- カメラ
- コンベックス
観察ポイント
外観:
- 既視感がないものか
- トレンドから外れていないか(古いものではないか)
- 内面が見えるか(物理的・哲学的)
- 周辺との環境(関係)が考えられているか
内観:
- 洒落ているか(小粋なサプライズがあるか)
- 直観的にバランスがいいか(経験則的に自分がいいものと感じるか)
- 書架配置のバランスはどうか
- 観覧席は座ってみたいか
- 気持ちがよい空間か
- 発見があるか
- 図書館の人たち明るい顔をしているか
- 本がきれいに並んでいるか
- 無用な張り紙がないか
- 掃除は行き届いているか
- また来たい、と思えたか
- 図書館の人たちは設計者を知っていたか
2017秋学期 月曜 生涯学習と図書館 6週目
前回までのあらすじ
2001年公立図書館の設置及び運営上の望ましい基準 では利用者を五つのグループに分けていた、五つ挙げよ
memo
2015 一億総活躍社会の実現→介護離職ゼロ
2017 人生100年時代構想
固定化された学習者=均等に機械が分配されていないことに伴うもの
ニーズに対応できていない学習プログラム
社会参画への取り組みが不十分
高齢化率の高さが問題になってくるのは1980年台以降であった
高齢化率が高いのは秋田県 低いのは沖縄県だが、全体的にもまだ上がり続けている
1995 高齢化対策基本法…高齢社会対策の基本理念+国と地方公共団体の責務
5分野を設定、中期にわたる方針
- 就業・所得
- 健康・福祉
- 学習・社会参加
- 生活環境,調査研究等の推進
- 国民の意見の反映
社会における図書館の役割
- 知の収集・保存・伝達機能
- 学習センター
- 情報センター
- 場としての機能
はじめに
日本は世界に先駆けて急速に進む高齢化
→図書館サービスを再考することは喫緊の課題
文部科学省「長寿社会における生涯学習の在り方について:人生 100 年いくつになっても学ぶ幸せ『幸齢社会』」(2012)
公民館、図書館(中略)など地域の様々な関連施設は、行政が地域住民のニーズを把握し、多様な学習プログラムを企画・提供することができる地域の学習拠点
高齢化が進展する日本
超高齢社会:総人口に占める 65 歳以上人口割合(高齢化率)27.3%<2016>
2.6 人に1人が 65 歳以上、4人に1人が 75 歳以上。
平均寿命:男(80.75 年)、女(86.99 年)<2015>
高齢者:「福祉・保護」イメージと「生活者・活動者」イメージの二重性
→超高齢社会を支える担い手としての高齢者
高齢者をめぐる図書館サービス
1)ALA 「高齢者向け図書館・情報サービスガイドライン」<1999年>
- 高齢者層に関する最新データの入手と図書館の計画や予算への反映
- 高齢者のニーズを反映したプログラムやサービスの提供
- すべての高齢者にとって安全・快適・魅力的なコレクションや設備の提供
- 高齢者に対する情報サービスの拠点化
- 高齢者層対象の図書館プログラムの提供
- 高齢者へのアウトリーチサービスの提供
- 高齢者に対する丁寧・敬意をもった対応のための図書館員の訓練
2)日本における高齢者サービスの変遷:障害者サービスから独立したサービスへ
- 図書館において高齢者は従来障害者サービスの枠組みの中。
- 1970 年代〜1980 年代:障害者サービスの対象は「図書館利用が困難な人々」に拡大。高齢者はこの範疇に。
- 1980 年代半ば〜1990 年代:高齢者を障害者サービスの枠組みの中で考えることの是非をめぐる議論
- 2001 年「公立図書館の設置及び運営上の望ましい基準」
高齢者に対するサービスの充実に資するため、高齢者にも配慮した公共の施設の整備とともに、大活字本、拡大読書器などの資料や機器・機材の整備・充実に努めるものとする。また、関係機関・団体と連携を図りながら、図書館利用の際の介助、対面朗読、宅配サービス等きめ細かな図書館サービスの提供に努めるものとする。 - 2012 年「公立図書館の設置及び運営上の望ましい基準」
- 大活字本、録音資料等の整備・提供、図書館利用の際の介助、図書館資料等の代読サービスの実施
4 超高齢社会における図書館サービスの事例
1)事例1:認知症にやさしい社会の構築と図書館サービス:イギリスや日本
IFLA Professional Report 2007「認知症のひとのための図書館サービス・ガイドライン」
認知症の人々が、文字及び情報にアクセスし、生活の質向上および社会参加が可能になるよう、公共図書館のサービスは不可欠
認知症患者や家族への図書館サービス
『認知症にやさしい図書館ガイドライン』第1版
回想法と図書館
"回想法:米国の精神科医 R. Butler によって提唱
" 高齢者を対象とした心理療法の1つ
・ 認知症サポーター
2)事例2:コミュニティ主導という概念の下、情報格差解消をめざす図書館サービス:カナダ
- コミュニティ・デベロップメント・ライブラリアン(Community Development Librarians: CDL)設置 従来型の図書館モデルは多くの社会的排除者のために機能していない
- 図書館とコミュニティ相互の協働が重要なアプローチという考え方
3)事例3:アクティブシニアへの情報提供:日本
ボランティア活動に必要な情報提供
団塊世代の定年退職・ 終活セミナーや講演会の実施
北海道札幌市中央図書館(2015/2)
東京都葛飾区立上小松図書館(2016/1)
4)事例4:国立国会図書館の調査から
多様な高齢者:サードエイジとフォースエイジの出現と図書館利用
日常行動や図書館利用は非常に多様
例1. 大活字本の利用
「だんだん目が不自由になってきて、最近は(大活字本を)利用している」(70 代前半・女性)
「自分でも読まないし、借りているところを見たこともない。高齢者向けというよりは障害者向けで、文字が大きすぎる」(60 代前半・男性)
例2. ボランティア活動に積極的に参加し、そのための資料を求めて図書館を利用
「老人施設にも読み聞かせのボランティアに行っており、老人のための紙芝居をリクエストしていた。予算がないのでなかなか買ってもらえなかったが、高齢者用の紙芝居を5点ほど購入してもらえることになった」(60 代後半・女性)
高齢者の行動が多様であることを踏まえた図書館サービスが必要
図書館へのアクセス
アクセスの良さは今後大きな要素
例. 自宅近くの図書館は駐車場が狭いので、「本を持ってバスで駅まで出て電車に乗って往復することを考えると、
車で利用できる方がいいので都築図書館を利用している」(60 代前半・女性)
「以前は車で来ていたが、駐車場が有料になってから車を使わなくなった。
来るのが面倒なので、図書館にも来なくなった。年をとるともっと面倒になる」(70 代後半・女性・非利用)
解決策の例
「駅前返却ポスト」の設置、宅配サービスの実施
↔「年をとると耳が聞こえなくなるので、インターホンが鳴っていても気が付かない。・・・荷物の受取はとても大変だと、姉を見ていて感じる。」(70 代後半・女性)
図書館へのアクセスを検討する必要あり
図書館資料・情報へのアクセスニーズ
望まれる資料の充実や新しい機器やサービスの導入
- 「これまで実際に電子書籍を購入したことはない。図書館がタブレット端末を貸してくれて電子書籍を読めるのであれば、興味があるので利用してもいい」(60 代後半・男性)
- 「本を読むことがだんだん億劫になってきているので、上手な朗読が聞けるといい」(70 代後半・女性)
資料の充実も忘れずに!場としての図書館に対するニーズや認知症への高い関心
「場」としての図書館に対するニーズ
- 「老人いこいの家や集会場ではなく、図書館にカフェのようなコミュニティスペースがあって、本を通して生き方や生活にプラスになる話ができ、お互いを支え合っていくことができればいい」(60代後半・女性)
- 「図書館で回想法をやっていれば利用したい」(70 代前半・女性)
- 「図書館から認知症のお年寄りがいる施設に出向いて朗読や音読をしてくれるといい。読み聞かせだけでは受動的になるので、能動的な音読がいいのではないか」(70 代後半・女性)
=> 認知症への高い関心
主体的な社会参加への意欲=>自らが社会の一員として能動的に参画したいと考えている高齢者もいる
- 「高齢者にサービスを与えるのではなく、もっと高齢者が参加できることがあればいい」(60 代前半・女性)
- 「ギブ&テイクではないが、1 つ何かしてもらったら 1 つお返しする。年をとっても何かしてもらうばかりでは、充実感がない」(60 代後半・女性)
主体的な社会参画を目指す高齢者に図書館はどのようなサービスを展開できるのか。
まとめ:これからの高齢者サービス
1)高齢者にやさしいまちづくり(Age friendly Cities)(WHO):8つのトピック
- 屋外スペースと建物
- 交通機関(3)
- 住居
- 社会参加
- 尊厳と社会的包摂
- 市民参加と雇用
- コミュニケーションと情報
- 地域社会の支援と保健サービス
2)公立図書館における高齢者サービス
- 学習拠点としての図書館・生活情報獲得の場としての図書館
- 生きがい創出の場としての図書館
- 居場所としての図書館
3)一歩先の高齢者サービスをめざして
4)公立図書館:
- 誰でも無料で利用できる
- ひとりでいても違和感がない
- 利用に際して明確な利用目的を問われない
という特質をもつ公共施設
国立国会図書館『超高齢社会と図書館:生きがいづくりから認知症支援まで』、2017。http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/10338812
2017秋学期 金曜 質的調査法 6週目
前回までのあらすじ
本日のお品書き
- 印象のマネジメント
- 社会化という考え方
- 逆に、波風を立たせてみる
- オーバーラポールという問題
- 試験について
- 最後に:だれの利益になる研究なのか?
印象のマネジメント
立場によって相手への態度を決める
自他の立場をはっきり区別し伝えること
派閥やグループがあった場合でも、いずれにも与しないスタンスの確立が必要
メモ/録音しようとしたら、威圧感を与えたり話渋るようなことになってしまう場合
・社会化という考え方
子どもが様々な活動にさんかしながらその文化や社会の一員としての振る舞いや態度を身につけて行くというプロセス → フィールドワークにも同じことがいえる
・通過儀礼という考え方
ある共同体に入るときに課される儀礼。ソトからウチに移行するときに行われる。
そのコミュニティにおいて、何か特定の行動が通過儀礼であることも考えられる。
逆に、波風を立たせてみる
なんらかの問題提起する
納得できない事柄について話、議論する?
自身が完全に透明な存在になる必要はない
考えをぶつけて変化を見るのもフィールドワーク
オーバーラポールという問題
対象と過度に密な関係を築いてしまい、
それによって自分としてはよろしくないことが生ずる場合
まずは正直にそれを伝える、わかる人はわかってくれる。そうでない場合は自分の指導者などに助けを求める(ex.ストーカー被害)
試験について
12/22 2限のみ
持込:課題に指定した本のみ
回答用紙と問題用紙が一枚ずつ、論述式
1.言葉、概念の意味をそれぞれ三文程度で説明
2.キーワードをいくつか選び、課題の本について論ずる
3.上記と同じくらいの分量だが、未定
暗記している事ではなく、理解している事、応用できる事に重きを置いている
まとめとして
フィールドワークには人間関係におけるストレスがつきもの
1.権力の問題
・調査者は調査協力者に対して「権力」を持っている
→立場の非対称性があることに留意
調査者が圧倒的に強いのだから、学ばさせてもらっているという謙虚さが不可欠
2.親密さの問題
・調査者は権力を持つと同時に「無知な外者」としての弱さを持つ
→人間関係において付け入られる隙になる
最後に:だれの利益になる研究なのか?
短期的には調査者の研究成果のための研究
長期的には調査したフィールドの人々に還元されるような、社会に還元されるようなものであるべき
次回
まだ